現れの場 The space of appearance

会期:2021年7月3日(土) – 7月25日(日)     2021年7月3日(土) – 8月9日(月)

会場:アズマテイプロジェクト

企画:烏山秀直

 展示という形で作品を世に問うにあたり、美術家は幾つもの作品や展示プランを描き出しては実行に移す。ある時点で展示までの期限を逆算し、 制作時間、必要な素材や機器の手配や準備、それら全ての活動費用等も現実問題として考慮することになりその都度プランを変更していくのだが、 当然ながらそれは当初思い描いていたものとは異なるものとなる。良い方向へ進むことも萎縮した結果になることも作り手ならば経験するだろう。 酒井くんの作品には、思い描いていたものがほぼそのままの状態で私たちの前に現れてくるような鮮度の高さがある。その想像力の豊かさと実行力は特筆に値するといえる。

 印象的な作品に『浦上天主堂再現プロジェクト』(2015)がある。被爆三世である彼は、故郷に原子爆弾が投下されて 70 年の節目にあたり、被爆後再建された浦上天主堂の正面壁を使用したプロジェクションマッピン グによって天主堂が歩んだ記憶を振り返ると共に、被爆後の問題を映し出してみせた。各メディア方面での準備・対応や関係者と地元住民への説明・ 支援、さらに協力金の要請活動も一つ一つ時間をかけ丁寧に行っていた。 美術家にとって未経験の連続だったであろうこれら一連の行程も制作活動の一部と捉えていたことは明白だ。その証拠としてプロジェクトへの認知と理解、平和祈念像へのローマ法王礼拝問題、同像制作者である北村西望問題などを含めた『平和祈念像パフォーマンス』というものを行っている。 長崎平和公園にある件の像に自身が扮し、西望ゆかりの地や場所へ赴いて 一連の活動をするというものだ。

 アズプロ企画♯16 VIVIDOR人生を謳歌する人 – に出品した映像作品 『see the sea』(2020)にも触れておきたい。美術家自身が電動工具類を駆使し、閉ざされた部屋の壁中央を横長の矩形に切り取ると、外側に広がる眩しい海の風景が現れるというものだ。これには大きな仕掛けが施されて いて、「突然海景が目の前に現れるように見せるために全く存在していな い部屋自体を自らの手で建てた」と平然と話す彼の言葉を聞くまで全く気付かず、唖然としたことを覚えている。

 本展へ向けた興味深いコンセプトを聞いたが、今回もプランに伴う複雑な問題や手続きや工程そのものも制作の一部と捉えながら実行に移しているようだ。この美術家によって立ち現れる空間を多くの人が目撃し、改めて想像をめぐらし、「実行することの意味」を考慮する場になることを願ってやまない。

烏山秀直(画家)

 ある少年は原っぱで見つけた白詰草を摘みとり、誇らしげに母親へプレゼントした。受け取った母親はとても喜び、押し花にして大切に本に挟んでいた。

 これは私の実体験であり、ある少年とは5歳の頃の私である。当時の感覚を思い出すと、私は自然をあたかも自身の一部のように振る舞っていたように思える。他者との関わりのなかで自然は常に私の側にあった。果てしなく続く地平から自身の身体を介して切り取られた景色は、私のものであると強く思わせると同時に、掬い上げた途端に指の隙間から抜け落ちていく捉えようのない危うさを同時に孕んでいる。作品をつくること、発表すること、これらの表現と伝達について考えるとき母へ手渡した白詰草を思い出すのである。

 ある彫刻家は、川で拾った石を展示空間に配置し自身の彫刻作品だという。

 ある画家は、購入したキャンバスに購入した絵具を定着させ自身の絵画作品だという。

 物質は世界を移動する。その過程で本質は変化し、実存も変化していく。私はその時々の場との関わりのなかで、これまで見えなかった景色をただ一緒に見て欲しいだけなのかもしれない。

酒井一吉(美術家)

《存在と所有》2021
《存在の現れ》2021 /《Wall drawing》2021
《3-C #1》2021 /《Wall Drawing》2021 /《存在の現れ》2021
《約束の凝集》2021
《対称性の破れ》2021
《Taxis》2021
撮影:松岡尚文